hayamihoのブログ

フットボールを愛しています

鮎解禁日に寄せて

こないだの日曜日、京北の畑に家族で遊びに行きました。

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作業はムリ。子どもいると、ムリ。

お手伝いの後片付けでおしまいになるので。

 

そいで畑仕事は適当に終わらせて、近くのあぜ道や川で遊びました。

 

あぜ道歩くと、オタマジャクシがハンパない豪速で田の中を逃げていく。

なに?

ほんとにオタマジャクシ?

ズゴォォーーーーーー‼︎って一瞬で5メーターくらいは移動するけど何奴⁈

 

と、よくみたら半分カエルになってるやつだった。

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腿という推進力を手に入れたらしい。

はえぇ…。

 

ヘビもでた。

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毒持ってないかさっそくググったらシマヘビで無毒でした。よかった。

 

サンショウウオもまだいました。

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よかった、よかった。

 

ああ、きれいなとこだなぁ…とフラフラ歩いて行くと、なにやら早口日本語の歌に、ズンチャズンチャとビートが響いてくる。

これは、ウェイ大集合の予感…

まさか。

…あった。

バーベキュー場。

 

仕方ない。

ウェイに混じって川遊びさせてもらおう。

 

と、子どもたちと河原まで降りていき、いざ水に入ると、後ろから全身釣りマンのおじさんがやってきて、言った。

「こっちはさ、13,000円も払ってんだよ。

川に入るのやめて。」と。

 

は?

 

と、なるわたしをさっそく止めて間に入ろうと焦るダンナと息子。

 

息子とはなぜか朝から「知らないオジサンとケンカしない」という謎の約束をさせられていたのだった…‼︎

予知能力!

 

ダンナがひととおり話をきき、じゃ移動しようか、と息子をウェイ際まで連れて行く。

 

が、わたしはオジサンに素朴な疑問をぶつけてみたくなった。

 

「わたしらも子ども遊ばせるのに13,000円払わないと川入れんの?」

 

「今日、解禁日だから。」

 

知らんがな。

見たら、ウェイたちみんな橋の下で遊んでる。

 

小さい子もいっぱいいる。

 

「あそこのさ、橋の下だったらいいよ」

とオジサン。

 

竿長いから橋の下入れんもんね、おっサン。

 

金払ってるから、と言ってなぜバーベキュー場で長い竿振回して小さい子どもを橋の下に追いやるのか…。

 

答えは分かっている。

渓流でやる体力がないのだ。

だから、子どもがチャプチャプ遊ぶバーベキューエリアに来て、竿振回しているのだろう。

チキン野郎め。

情けないジジイだ。

 

わたしは、オッサンが浅瀬にプカプカ浮かべている友釣り用のお友達アユを生かしている小舟みたいな形の容れ物に近づき、そっと中のアユに耳打ちした。

 

「お前も悔しいだろうが、ここは同じ仲間のためにひと働きしてみないか。」と。

 

そして、オッサンが仕掛けた先ほどのお友達アユは、実戦配備されるや否や次々と仲間のテリトリーを回避しまくり、見事、ただの一尾も犠牲を出さずに立派な最後を遂げたのだった。。。

 

しかもこの出来事は、桂川を泳ぐアユたちにくまなく伝えられ、テリトリー意識についての見直しが推奨された。

 

また、ダーウィンの進化論に基づき、友釣りの囮として犠牲となっている仲間にさえケンカを売るようなオラオラの個体は次々とオジサン達の腹の中におさまり、テリトリー意識の低い穏やかな個体のみが毎年生き残ってその子孫が繁栄することとなるのです。。。

 

よって鮎の友釣りは衰退の一途をたどることでしょう。

 

はい。気が済んだ。

 

 

日記*6月3日のこと

今日は土曜日だけど、午前中授業参観がありました。

 

息子のクラスは道徳で「あいさつの仕方」を、娘のクラスでは英語で「数の数え方」を教えていました。

 

晴れているけれど風が強く、開け放たれた窓からはちょっとヒヤッとするくらい冷たい風がサァーッと気持ち良く教室に吹き込み、反対側の廊下へと通り抜けて行きました。

 

その時ふと、同じようなシチュエーションで前にも風を気持ちいいと感じたな(しかもごく最近)、と思いました。

 

そうだ。

 

勤め先の大学の研究室だ。しかも院生室。

 

そう思い出した途端、小学校の教室と大学の研究室がつながりました。

 

そこに吹いている、同じ風。

 

この子達の進んでいくずっと先のほうに、私の仕事場があるのです。

 

院生室の入り口には貼り紙がしてあります。

「就職した同級生が毎日朝から社会の一員として働き、いまこの時にも人生の基盤作りをしているということを忘れるな。」

という、先生からの貴重なお言葉。

 

言わんとしていることは、「朝からちゃんと研究に来いよ」ということ。

 

7歳の息子は気持ちの良いあいさつの仕方を、あの青年たちは人生の基盤作りをするべき大切なこの時が有限であるということについて、いまそれぞれの場所で学んでいるのです。

 

どちらも同じ学びの場。

 

最近働くこととなった場所は、大学の農学部です。

 

畑があり、馬がいます。

 

生命そのものを扱っているところです。

 

以前は医学部でした。

そこで毎日知らず知らず肌身に感じていた得体の知れないものの正体が「死」であったことに、農学部に来てからようやく気付きました。

 

実験動物の慰霊碑、解剖用のご遺体を1柱、2柱と数える文書、がん薬の研究についての報告書、臨床研究、倫理規範などなど。

 

人間の死を人間自身から遠ざけるために、あらゆることを研究する場所でした。

 

その活動の必然として、常にその背景には「人間の死」が横たわっており、切羽詰まったギリギリのところでしのぎを削る、当然ですが人類の延命だけに集中して課題を克服していく世界だったように感じます。

 

ところがいま私が目にしている世界では、太陽が穂を照らし、実り、また新しい命が芽吹き、多様性はそのまま人間の想像以上に地球上を覆い、有限の存在としての人間である私たちを驚かせ続けます。

 

そこには、私たちの知らない宇宙の法則があり、その一端を少しでも解明しようと研究者も学生も日々コツコツと作業を続けます。

畑に出て穂を撫で、実験室で顕微鏡をのぞき、水を治め、汗を流します。

森林の中で、木を観察し、必要があれば治療をし、やはり自然の中で汗を流しています。

 

どちらが良い悪いというわけではないし、それぞれの役割があるとは思うのだけど、やはり機会があったらぜひ子どもを連れて行ってあげたいな、と思うのは農学部の方です。

 

そこでは私たち人間は自然の一部でしかなく、シビアなくらい有限の存在です。

 

有限と言えば、今日参観終わってうち帰ってからNHKサイエンスゼロを見ていて、子どもたちと、何光年も離れた宇宙の他の惑星を探索するにはどうしたらいいか、という話をしました。

 

その星にたどり着くまでにみんな死んじゃうよね、って。

 

すると、子どもが男女2組ずつ搭乗させて、その子孫に託せばいいんじゃない?と言いました。

 

ミッションは最初の男女から子孫代々伝えていくようにし、文書も遺す、と。

 

ん?

 

どっかできいたような話だな。

 

それ、たぶん言い伝えみたいに伝承されるんでしょ。

 

そしてその文書にはいろんな解釈が発生して、◯◯教とか、◯◯派とかいろんなグループに分かれて争ったりするんだよね。

 

そうなると、その宇宙船はさしずめノアの箱船のような。

 

いや、ノアの箱船が実際、宇宙船だったのかも。

 

私たちには、もしかしたら最初に送り込まれたペアから託された使命があるのかもしれない。

 

もう誰にもちゃんと伝わってないし、みんな忘れちゃってるけど。

 

ちゃんと本に書いたし、何人かピックアップして都度伝えてるじゃーん、って神様言ってるかも。

 

ごめーん汗

 

とか思いながら、夕飯は子どもとあかつきでラーメン食べてダラダラ過ごし、近所の琵琶湖疏水でホタルみたりして、帰ってきました。

 

近所散歩してると、やっぱいま幸せかも、と改めて思います。

 

死ぬときに思い出すと、きっといまここに住んでるこの期間て、人生で一番目、二番目くらいに幸せな時期だと思う。

 

神様には申し訳ないけど、ミッションはどうしても思い出せないし、その話し出すとみんな血みどろの争い始めちゃうし、もう一旦全て忘れて楽しんじゃいますね。

 

明日は京北の方に借りた畑に行けますように。

カエルとサンショウウオのいる田んぼで遊べますように。

そして、帰りはマックで裏チーズバーガー食べたい。あれ、メチャうま。 

そういえば娘と先日ピーチガール観てきた。

ピーチガール、漫画らしいですね。

 

娘に連れられて、こないだその映画を観に行ってきました。

 

伊野尾くん目当てで。

だと思います。

言わないけど。

 

映画館スタッフさんにチケット切ってもらって指示どおりのスクリーンに向かうと、10代の娘さんたちがワラワラと吸い込まれるようにそこに入っていき…

 

オバさんだけど入っちゃっていい?

大丈夫?

入り口でオバさんセンサーとか作動しない?

 

とキョロキョロしてたら、

大丈夫だから💢

と、娘に怒られ、黙って入りました。

 

映画はまあまあまあまあまあまあまあまあ…て感じで。苦笑

 

いや、映画って総合芸術だからやっぱ難しいよね。

 

でも最後の写真ないわー。

つまらんのはつまらんでまあしょうがないけど、せめてキラキラひらひらワールドでやってんだからそれだけ最後までずっと押し通しといてほしかったー。

突然監督のオジさんがキャストと写ってる写真出てくる、とか…さ。

 

オジさんセンサー鳴っちゃった。

現実のオジさんが出て来ちゃダメよ。


1,800円払って観ちゃったじゃん。

 

仕方ない。

これもレジャー費だ。

 

7月は嵐の大野くんのニンニン忍者映画を観に行くそうです。

 

そのあともなんか観に行きたい映画の公開が続くようです。

 

たぶん嵐だと思います。

言わないけど。

やっと

久しぶりのブログ更新です。

 

まずは香川真司選手、ドルトムントの選手・スタッフの皆さん、そしてトゥヘル監督!

ポカール優勝おめでとうございます㊗️🎉

 

試合をみることはできませんでしたが、ずっと応援していました。

 

今季は香川真司選手個人にとっても、またクラブにとっても、浮き沈みの激しい、様々な試練を乗り越えなければならない非常に過酷なシーズンでしたので、ポカール優勝は何にも代え難いひとつの”達成”であったと思います。

 

本当に心からおめでとうございます。

そして、このカップを私たちと一緒に掲げたと言ってくださって、本当にありがとう。

 

相変わらずのファン殺しだな、このヤロー!

 

これだから、

いつもドラマのような展開で感動を与えてくれるから、

ぜったい裏切らないから、

そして必ず最後にはこんな熱い言葉と共に自身の達成をファンと共有してくれるから、

だから香川真司ファンはやめられないのです。

 

時間に余裕ができたら、このポカールの決勝も含め、見逃した試合をぜんぶみたい。楽しみにしています。

 

実はしばらく子どもの体調が悪く、特に夜はつきっきりの生活だったため、サッカー観戦をやめていました。

 

だから夜、眠りにつく前の一時、TwitterのTLをチェックするのが唯一の楽しみでした。

いろんな情報、とくに香川真司選手のプレーについてのこと、現地メディアの評価やチームメイトと仲良くしている様子などを見ることができ、今さらながらTwitterて本当にありがたいな…としみじみ感謝。

 

子どもの体調はというと、一進一退。

学校と相談しながら、できる範囲で通学はしていましたが、学童はやめることにし、私も仕事を変えました。

 

事情が事情なので上司のヤナギも退職を承諾してくれましたが、やはり最後までポンコツで、最終日ギリギリになっても終わりの見えない仕事を振ってくる有様。

「コイツほんとは辞めさせる気ねーな💢」と何度もブン殴ってやりたくなりましたが、大人なのでガマンしました。

 

殴るのはガマンしましたが、

「また連絡するので、引き続き単発契約でサポートしてほしい。」という本来事務を通さなくてはならない申し出については丁重にお断りし、担当の偉い人にチクってちゃんとルートを封じておきました。

 

一旦ヤナギのプロジェクトで派遣契約を解除したあとは、同じ組織の他部署で直接雇用の非常勤職員となることが決まっていたため、マジで呼び出しとかがありそうでしたし。

 

なので、退職とはいいつつ、実際はもうちょっと時間的にゆとりのある他部署への異動でした。

 

とはいえ、お世話になった皆さんとのお別れはとてもさみしく、ちょっぴりブロークンハート。。。

 

さびしくなります、とか

忘年会呼ぶからね、とか

”喉元過ぎれば熱さを忘れる”から(子育て)がんばって、とか

もっと一緒に仕事したかった!、とか

中には” chao! ”と長友さんばりの素敵な〆のメッセージ等々、お世話になった方々から寄せられるたくさんの温かいお言葉に何度も励まされました。

 

本当に、この先もう二度とお目にかかれない方も中にはいらっしゃることでしょう。

 

そんな中、ずっと経理でお世話になっていた古畑さんから「フットサルでまたお目にかかれるのを楽しみのしております」とメールが頂けたのは大収穫でした。

 

古畑さん、幽霊部員だから。

来いよ。練習。

 

だからメールを読んだときには、 約束だからな!ぜったい来いよ!と(口に出しては言いませんが)心の中で熱くガッツポーズをしました。

 

職場のフットサルサークルは幸いにも土日の日中開催がメインなので助かります。

旦那の協力が得られる範囲内でこれからもぼちぼち楽しんでいこうと思っています。

 

しかし仕事の方は、諦めました。

退職を決意するまでにはいろいろと葛藤がありましたが、仕方ありません。

会議が夜の6時や7時からという部署だったため、会議室や資料の準備などでどうしても残業が多く、学童に行けない子どもをうちに待たせたまま、あるいは時には休まなければならない場合など、通院もままならない状態では継続することがほとんど不可能でした。

仕事自体はやっと充実してきていたところで、さあこれから、という段階にありましたし、子どもの体調が本格的に悪化するまでは、実は退職なんて微塵も考えてもいませんでした。

でもある日、調子が悪そうな子どもを仕事の都合を優先して無理に学校に送り出した日、その日は一日中それが気になって気になって仕方ありませんでした。

どんなに好きなことをしていても、仕事に没頭していても、こんな状態ではちっとも自分自身幸せではないということに気がつきました。

 

子どもを持つ前は、恥ずかしながらそんな経験したこと一度もなかったんです。

 

私の幸福は、いつもわりと周りの人間関係から切り離されたところに存在していました。

 

極端な話、となりで誰かが苦しんでいても、同情はしますが、好きな音楽を聴けば楽しめるし、没頭して本を読むこともできました。

 

その人が幸せでなければ自分も幸福を感じられないなんて。

 

情けない話ですが、わたしはこんな当たり前の感情について、またそれを抱く相手の存在について、40過ぎてやっと気がついたのです。

 

気付いたときは、もう相当な衝撃でした。

 

あまりに衝撃だったので、以前これと似たような気持ちになったことがないか徹底的に記憶を遡ってみたところ、思い出しました。

子どもの頃、親に対して同じような気持ちを感じていました。

 

親が悲しそうにしていると、自分の胸も引き裂かれそうに悲しかった。

親が苦しそうにしていると、わたしも苦しかった。

親が楽しそうに笑っていると、やはりわたしも楽しかったし嬉しかった。

 

今のわたしにとって、子どもはそういう存在なんだ、とその時やっと気がつきました。(遅い)

 

そして、子どもにとってのわたしもまた、きっとそういう存在なのだと思います。

 

で、スッキリと結論が出ました。

 

わたしにとって一番大切なものが何か。

 

間に合ってよかった、と我ながら思います。

 

うっかり知らずに死ぬとこだった!

 

でも実は子どもが生まれてからずっとそうだったのかも知れません。

今回、子どもの体調不良によっていろいろと揺さぶりをかけられる中、やっとそれを意識したというだけなのかも知れない。

いや、たぶんそうだ。

 

そして私がそういうことに気づいたり、仕事を変えたりしているうちに、子どもの体調もだんだん良くなってきました。不思議。

 

まだ完全に治ったわけではないけれど、外で元気に走り回ったり、夜もわりと安心してひとりで寝かせられるようになってきました。

 

でも、まだしばらくサッカーは二の次になりそうです。

 

なかなか難しいことですが、家族との時間をいちばん大切にして、いつもニコニコ(ここが超難関)笑って暮らすことを心がけるようにしたいです。

 

このブログも、サッカーとか関係なくなるかも。

 

でも、こうやって記事が書けるくらいの余裕ができたのは、本当にやっと、という感じです。

 

やれやれ。

 

やっぱ時間ができたら、見逃した試合ぜんぶすっ飛ばして最初にポカールの決勝からみようかな。

うん、そうしよう。

 

今ごろパレードしてるはずなので、またこっそりTL覗きに行ってきます。

おやすみなさい。

フットサルの神様

サッカーには、サッカーの神様がいる。

 

いつも手に汗かいて祈ったり、涙目で恨んだり、飛び上がって感謝したり、わぁって驚いたりしてるし、それに対するフィードバックもなんとなくあったりするので、だいたいどんな神様かっていうイメージはある。

 

ピカピカで、派手で、スタジアムよりも大きくて、すごいパワーのある神様。

 

ある時は審判の吹く笛の音色として、ある時はサポーターのチャントとして、ある時は信じられない軌道を描いてゴールに吸い込まれるFKのボールとして。

 

練習や試合が終わった後に残っている雰囲気とかそういうのも独特で、目に焼き付いて離れない風景もたくさんある。

 

でも、フットサルではそんな偉大なものの存在を感じたことはなく、いつも淡々と練習し、ゲームをし、ああ楽しかった、で終了。

 

試合の観戦経験も乏しいので、神がかったプレーや奇跡的なドラマを目撃したことはないし、サッカーのように神々しい体験を誰かと共有したこともない。

 

でも、昨日、個サルの帰りにふと「フットサルにも神様いるな」と感じた。

 

サッカーの神様と違って、その神様は小さなフットサルコートの中で個サルを回している。

初心者にパスやドリブルの仕方を教えている。

たまにかっこいい技を見せてくれたりする。

女の子に優しくて、ビブスをきれいに洗濯してくれるけど、足がちょっと臭い。

そして「ナイボ!」と言う。

夕方の公園で練習していると、「うまいな〜!」とか「スパイク履いてるん」と話しかけてきてくれる。

朝練では「うちの娘も他県でサッカーしてんで。頑張ってな!」と声をかけてくれる。

学校や職場などいたるところで仲間を作り、フットサルコートにみんなを集める。

そしてコートの中にしっかり立ち、うまい人も下手くそも、男も女も、大人も子供も、みんながそれぞれ楽しそうにプレーしている様子を見守っている。

腕組みして。

足は肩幅以上に開き、

頭はもちろんダビド・ルイスばりのくるくるパーマ。

 

そしてゲーム中熱くなって叫ぶ私に、コートの端からそっとつぶやく。

 

コーチングしてんのお前やん」て。

 

たしかに汗

 

フットサルの神様ってそういう人。

怒り、っていうか最終的には悲しみだけど、まだ信じたい。サッカーの力を。

昨夜、眠りにつく前にわたしが考えていたこと。

 

モナコ戦ぜったい真司スタメンだよね…

 

起きれるかな…

 

もうあと3時間か、早く寝なきゃ…

 

というようなこと。

 

けっきょく、起きたのは5時頃でした。

 

自分が観れなかった試合の途中経過を知ってしまうと、録画したものを観るときの邪魔になるのであえてテレビやTwitterを見ないようにしていました。

 

午前9時頃、風邪で学校を休んでテレビを見ていた娘が2回私に言いました。

 

一度めは家の中で。

「ドイツでドルトムントのバスが爆破されたけど香川は無事だって。」

 

ふうん、と聞き流す私に、彼女は小児科に向かう車の中でもう一度言いました。

 

「ドイツでね、ドルトムントのバスが爆破されたんだってよ。」と。

 

わたしはそれを聞いても大したことないと思っていました。

 

ある種、ひとつのモニュメントとして”BVBバス”が標的になっただけで、選手に影響はないはずだ、選手が乗っている状態のバスが狙われるはずはない、とどこかで思い込んでいました。

 

が、それは私の間違いでした。

 

世界は私が思っていたよりももっとずっと狂っていたのです。

 

娘を病院に連れて行き、長い待ち時間にとうとうTwitterを開けた瞬間、そこに流れてくる破損したバスの画像、バルトラの怪我、そして手術という2文字に心底驚いて、思わず叫びました。

 

待合室にいるお年寄り全員がこちらを見るくらい、マジで叫びました。

 

モナコ戦が中止されたこと、選手が乗っているバスを(ガチで)狙った犯行であったこと、試合前の移動中にそれが起こったこと、そして何より、オバメヤンをはじめ、あんなに不安そうにしている選手の近況が次々写真付きでアップされている状況に目を疑いました。。。

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命を狙われるって、どんな気持ちか。。。

 

死ねって、言われる気持ち。お前なんか死ねばいい、というメッセージ。

 

これをどうして彼らが受け取らなければならないのか。

 

前に、フランスvsドイツの国際親善試合の開催中に起こったパリのテロを思い出しました。

 

あの時、フェイスブック上にはこんな文言が出回りました。

 

「テロリストがパリにいるなら、パリを空爆すれば良いのに。」

 

逆説的に「なぜ中東諸国の都市は空爆しても良いのか」ということを言いたかっただけの記事なのですが、この文言は当時私の心に鋭く刺さりました。

 

血が出るかと思うほど、刺さりました。

 

パリには、私の友人が数多くいたからです。

 

この文言は、私にとって「他の国への空爆がなくならないのなら、それらの国々の住民と同じように、お前の友達だってテロリストと一緒に殺してしまっても構わないんだよ、理論上は。」というメッセージでした。

 

言っている本人は、したり顔で、ドヤ顔で、言ったった、くらいの感じなのかもしれませんが、私にとってはそれがどんなに理論上正しくともひどく受け入れがたいものでしたし、心が傷付きました。

 

殺される、あるいは殺そうとされることが、どんなに人の心を傷付けるのかは被害者やその近親者にしかわからないのかもしれません。

 

この感情がわかる人は、逆に少ないでしょう。

 

けど、想像することはできるはずです。

 

サッカーが嫌いな人なんていない、って私は思ってたけど、いるのかもしれません。

 

選手の乗ったバスを攻撃するなんて。

 

最初怒りでしたが、やがてそれも悲しみに変わりました。

 

サッカー選手だけは狙って欲しくなかった。

 

もちろん他の誰も殺されてはならないけど

”サッカー選手はとりあえずそういうのとは別にして大切にする世界”

というのを心のどこかで信じていました。

 

幻想?

 

幻想ですか?

 

サッカーにそんなチカラ、ないですか?

 

いや、まだあると信じたいです。

 

1泊多くドイツに滞在しなくてはならなくなったモナコサポーターに、あの(!)ドルサポが宿の提供を申し出、試合前(ここが重要)(試合後はたぶん絶対ムリ笑)の一夜を共にし、こんなにお互い打ち解け合うなんて奇跡でしょ。

 

そしてバルトラの腕にも奇跡を。

 

1日でも早く治りますように。

 

今夜はあらゆるものと戦います。

 

皆で力を合わせて。

 

サッカーの力を信じたい。負けたくない。

 

こんなクソみたいなメッセージは絶対に受け取らない。

故郷

その街へは、南禅寺の横にポッカリとあいた穴をくぐると行くことができる。

 

穴をくぐったら、やがて現れる青い道を、ひたすらまっすぐ、まっすぐ。

 

「ここから10キロ先までは、十分運転に注意してください。」

 

海かとおもったら湖で、タヌキと忍者の山を越え、いざ俗地へ。

 

ひと回りしたDVDがレッチリのCan't StopのPVに戻ると「あ、バカな歌がまた始まった」と子どもが言い、雨はさらに激しさを増す。

 

好きで好きでたまらなかった人たちも、

大嫌いで顔もみたくなかった人たちも、

別にどうという印象のなかった人たちも、

まだそのままそこにいた。

 

影だ。

 

これは影だ。

 

でも、触れようと近づくわたしを、氷のように冷たい刃で斬り捨てるこの影には実体があり、わたしの身体からは血が流れた。

 

目からも。鼻からも。

 

桜が満開だった。 

 

病気の女が電話してきて、いまちょっと近くのコンビニにいるんだけど、と言う。

 

もう連れて帰るから、と断ったはずなのに。

 

なぜなのか。

 

結局とられた人質の解放を待ち、

雨の立駐で過ごすクソみたいな数時間。

することもなく、行く場所もない。

 

「うちでなら遊んでもらってもいいけど」

 

チワワみたい。

寂しさにいつも震えて、

華美に着飾り、

山のように積まれたDVDと、

テレビだけの部屋に夜まで置き去りにされる、あのかわいそうな子。

ブルブル震えながら、

小さな子をいじめ、

むりやり取り上げた幼児用サイズの浮き輪でプールに飛び込み、

擦りむいた足をひきずりながら、

もう歩けない、と、

スアレス並みのシミュレーションで全員を無理やり帰路に着かせたあの子の母親。

 

いつも家にいない。

 

そして置き去りにするわが子に与える最高のオモチャは、家に呼んでもいいよ、と言いながら充てがうオトモダチ。

 

迎えに行く。
わが子を。

 

離婚して、家はそのまま彼女のモノになり、

表札だけが書きかえられていた。

 

ピンポーン、

 ”オモチャじゃないので、返してください。”

 

病気の女はやはり不在で、頭にでっかいリボンのついたチワワみたいな女の子がひとり出てきた。

 

胸が痛む。

 

忘れていた。

 

またこんな光景を見なくてはならないのか。

 

誰もいない大きな家と、

たったひとりで取り残される、歪んだ笑顔の小さな女の子。

 

ありがとう、帰ってきたらまた遊ぼう、バイバイ、と言い合う女子ふたりを引き離す。

 

雨はますます激しくなり、

 

そしてわたしは1日早く嘘をつく。

 

フライングで反則だったけど、警告は受けず。

アドバンテージか。

 

どこかで必ず帳尻合わせが来るだろう。

 

神様。

 

ああ、この街は辛い。辛すぎる。

 

ふと、南禅寺のあの入り口を思い出す。

 

そして不安になる。

 

夢ダッタラドウシヨウ。

 

あれは、マボロシ…?

 

夜が明けて、わたしは祈る思いで青い道を駆け戻る。

 

「ここから10キロ先までは、十分運転に注意してください。」

 

背後の平野にぼんやりと立ち並ぶバビロンの塔みたいな、あの巨大なお金の化身たちが追いかけてきませんように!

 

振り向いてはいけない!

 

呪文を唱えながら、ひたすら走る。

 

”バカと煙は上が好き”

”バカと煙は上が好き”

”バカと煙は上が好き”

そうだ、あれは影ではなかったんだ。

 

あれは、ただのバカか、煙だ。

 

煙だったら、なくなれ!

 

やがてわたしは小さな橋を越え、南禅寺に辿り着く。

 

うしろで眠っている子どもたちの顔と、

いま目の前にある町の風景をかわるがわる確認して、

ホッとひといきつく。

 

ああ、

山がある。

鳶がいる。

道が狭い。

タバコ屋があり、

豆腐屋がある。

炭屋が炭を積み、

人が人らしく暮らしている。

 

そして夕日は山際を赤く染めている。

 

「目的地に到着しました。案内を終了します。」

 

ああよかった。