hayamihoのブログ

フットボールを愛しています

歪んだ真実を表現する。の難しさ。

このブログをはじめて、早いものでもう2ヶ月がたちました。

 

FacaBookなどでの、この人とあの人とあの人もいる、というリアで交友のある対人グループ範囲内では、もうわたしの表現したいこと(たとえばサッカーについて、とか、好きな選手のどんなプレーに痺れるのか、とか)を伝えるべき相手があんまりいないことに気づいたのがきっかけでした。

 

つまり、同じ趣味を持った仲間が現在の交友関係内では見つからなかったのです。

 

FBも閉じてしまおうか、と思いましたが、どういうわけかわたしをフォローしてくれている方が数名いらっしゃったこと、またこれもほんの数名でしたがわたしの近況を気にかけてくださる方々もいらっしゃったため、それ以外の方々とはストレス軽減のためFB上のお友達関係を整理させていただき、アカウントはそのまま残すことにしました。

 

そしてわたしは子供を中心とした人間関係の中で演じ続けてきた「お母さん」から素の自分に戻り、ここで自由に好きだと思うもの、心を動かされるものについて語ることができるようになりました。

 

発信相手は不特定多数。

Twitterなどで慣れ親しんできた広い交友を目指していました。

素の自分でこの広い世界に思いを発信し、興味のある人にそれが届けばいい、とそう願っていたのです。

 

でも、その情報発信の仕方についてさえも、受け取り方は実に人それぞれなんだということを昨日知りました。(ちょっと遅かった汗)

 

わたしが不特定多数に向けて語りかけたことでも、受け取る人によってはまるで自分に向けて放たれた矢のように感じることがあるということです。

 

真実はひとそれぞれ違います。

 

視点が違うからです。

 

立っている場所が変われば、当然同じものを見ていてもその景色はまったくちがうものになります。

 

でも、このブログを書いている私はわたしの見る景色しか書けません。

書いているのは私ですから、逆に言えば、それを表現する場としてわたしはブログを始めました。

 

でもそれが、時に何気なく見過ごすことのできないものとして、誰かの日常の中で望まない形の存在感を発揮してしまうことがあるということも知りました。

 

難しいです。

 

わたしは私以外の何億人といるほかの立場の方の視点をすべて検証することができません。また、そのような欲求もありません。

 

このわたしの歪んだ真実を、そのままの形で、しかも誰の心もプライドも傷つけずに表現する方法はないものでしょうか。

 

昨日ずっとそれを考えていたら、フィクションというアイデアが頭に浮かびました。

 

そして何度も繰り返し読んだ、村上春樹さんのイスラエルでのスピーチを思い出しました。

「小説家は虚構を作り上げて真実をそこにおびき出す」というような表現があったと記憶しています。

 

わたしもこの自分自身の歪んだ真実を、フィクションという虚構のいれものにおさめて提示すれば誰も傷つけずにすむのかもしれません。

 

これも難しいでしょうけど。すごく、すごく難しい。

 

それに、虚構として発表した「ノルウェイの森」によって実際の対人関係が損なわれた、というお話を村上春樹さんがしていらっしゃったのをすぐに思い出し、このアイデアはけっきょく没に…。

 

ということで、このブログでわたしが言っていることは、自分勝手な40女がその歪んだ視点で世の中を見ている、取るに足りない寝言たわごとのようなものですので、どうぞよしなに。。。