hayamihoのブログ

フットボールを愛しています

結婚生活を支えるもの

最近、こないだフットサル場で知り合った、30歳を少し過ぎたくらいの女性と話した結婚についての話が猛烈に気になってきました。

 

なぜ今ごろ。

 

でもそういうことある。よくある。

 

その時は、話してた場所がフットサル場ということもあり、あまり深く考えずその場しのぎの返答でエイヤ、エイヤ、とやっつけて切り抜けてきましたが、そのまま日常の忙しさの中で流されてどっかに消えてしまうはずのその話が、どうやら流れきってはいなかったようです。

 

ちょっと大きめのゴミみたいに。

 

不愉快に岩場の陰に引っかかったまま。

 

このゴミを取り除きたい。

 

彼女の話はまあ全部ゴミっちゃぁゴミだったんですが、全部小粒で気にならない程度のゴミ具合。

でもあの話だけがなぜかずっと引っかかっている。

 

それは何かというと、彼女が友達の話として語ってくれた「まったく好きでない男性をお金だと思えば結婚できる」という話。

 

お金と結婚する。

 

この貧相な発想。

誰だ、こんなフィクションをさも現実世界に存在する人生の話のように広めたのは。

 

男子のAV妄想と並んで、この女子の「お金持ちとの結婚」妄想すごい。

 

全部フィクションの世界だから。

 

そんな女教師や人妻が存在しないのと同じように、そんなお金さえあれば幸せになれる人生も存在しないから。

 

その女教師も、人妻も、結婚相手のお金持ちも、みんな生きているから。(相田みつおじゃないよ)

 

生きていくというのは、本当に大変なこと。

 

それを一緒にする相手だよ。結婚て、売春とは違うんだよ。

 

本当はその時、私は彼女にそう言いたかったのかもしれない。

 

それがどうしても引っかかってた。

 

では、私の結婚生活はどんなものか、というと、今日は奇しくもお付き合いすることになった日からちょうど21年目。

 

この長い年月を振り返ってみると、私たちの関係を支えていたものは、お金とか愛情とかそんなものではなく、もっと何か恐ろしい得体の知れないものです。

 

腐れ縁とでも言うのか。

 

こういうのを運命、という人もいるかもしれない。

 

私たちは付き合い始めた頃から何年かに一度は必ず長野県の蓼科に旅行に行っています。

 

そこで女神湖という人口の池の周りを散歩するのですが、そこには狭い湿地エリアがあって、珍しい高原植物がたくさん見れます。

 

私は旦那との結婚生活を回想するとき、必ずこの湿地帯で見かける不思議な植物のことを思い出します。

 

最初は私たち二人だけで見ていたこの不思議な植物を、大きな妊娠8ヶ月のお腹を抱えて見たこともあるし、まだ赤ちゃんだった長女を乗せたベビーカーを押しながら見たこともあります。

最近では走り回る子供達が散策用通路から湿地帯に転落しないようハラハラしながら見ました。

 

私たちの結婚生活を支えているものを、何か具体的にあげてほしいと誰かに言われたら、私は間違いなくこの不思議な高原植物をまず最初に思い浮かべることでしょう。

 

言うか言わないか、それはわかりませんが。(説明するのがめんどくさい)

 

それは旦那が大金持ちでも、そうでなくても、何かそういうものとは全然関係ないところに、ぽつん、と存在しています。

 

彼女は、あくまでも「友達の話」として言いましたが、愛情はなくても後で何とでもなる(情が湧く)けど、お金だけはどうにもならない、絶対的な条件だ、と言いました。

 

世界は、様々な立場の人がそれぞれに抱えている、実に雑多な苦しみで溢れています。

 

そのような結婚で抱える苦しみも、そのうちのひとつに過ぎないのかもしれません。

 

でもこのようなファンタジーを盲信している女性にはなぜか「社会人になってからもずっと実家暮らし」という共通点があります。

彼女たちが探しているのは人生の伴侶ではなく、両親に代わる保護者なのかもしれませんね。

 

親離れができていないのでしょう。

 

ああ、これで少しは流れていってくれたかな。ゴミ。

 

しかし、ほんとにゴミだな。

 

お目汚し失礼しました。