hayamihoのブログ

フットボールを愛しています

音楽とサッカーと。

わたしはギターが好きで、家でよく弾いています。

 

誰に聴かせるわけでもなく、ただ趣味として、つっかかりながらもゆっくり自分のペースで好きな曲を弾いています。

でも、たまにすごく調子のいい日があります。

いつもの演奏が綱渡りの訓練だとすると、そういう日はまるで空を自由に飛びまわっているようです。

 

とつとつと紡ぎだしていた音とリズムが突如一体化し、曲自体に生命が宿り、リズムが自律的に躍動を始めます。

そういうときは、音楽が何か宇宙的な法則にしたがってわたしをリードしていきます。

わたしもその法則と一体化し、その中に組み込まれます。

とても美しくて神々しい体験です。

 

まるで万華鏡をのぞいているような、曼荼羅をみているような、雪の結晶やベンゼン環、太陽系や銀河系といった大小の宇宙すべてをを貫いているたったひとつの「真理」と音楽を通してつながっているような感覚です。

 

のる、といった方が的確な表現かもしれません。

 

よく、音楽にのる、とかいいますよね。

 

あの、のる感覚が、ある程度練習・訓練を積んだあとにやってきます。

 

これはきっと音楽だけではないはずです。

 

なぜなら、わたしはこの美しい瞬間をサッカーでもみることがあるからです。

 

ヨハンクライフ氏の言う「美しいサッカー」というのはこの瞬間のことだと勝手に解釈しています。

 

選手ひとりひとりのの練習・訓練は、この「美しさ」に近づくためのものです。

 

ペップグアルディオラのサッカーには、これがあります。

 

彼がロストボールを極端に嫌うのはこのためでしょう。

 

ピッチ上で彼の理想が実現された瞬間は本当に息を呑むほどの美しさです。

この瞬間を目撃するためにわたしはサッカーを見続けるのです。

 

クラブをオーケストラに例えると、グアルディオラは指揮者です。

そしてオーケストラは大宇宙で、プレイヤー(選手)は小宇宙です。

 

大宇宙の真理が神々しく炸裂する試合では、プレイヤーもその波に乗って小宇宙を体現します。

 

きわどいFKの弾道に、瞬時に判断して楔を打つそのひらめきに、ボールの方から吸いついたように見えるトラップに、同じように息を呑むような美しさがあります。

 

そして中には、どんな試合でも、ボールをもつと魔法使いのように次々とそういう美しいプレーをする選手がいます。

 

そのひとりが、香川真司です。

 

彼はまちがいなく天才です。

 

”のった”状態の彼は、その小宇宙の美しい真理の法則でチーム全体のスピードを上げ、ひらめきを与えます。

まるで魔法のようです。

 

最後のシュートは、音楽で言うと、ソロパート。見せ場です。アドリブでできるだけ派手に、わたしたちをぞくぞくさせるようなプレーをしてほしい。そう期待させます。

そしてわたしたちも、彼と一緒にその空を自由に飛びまわるような宇宙との一体感を共有します。

 

サッカーも音楽も、わたしにとっては同じ宇宙へのチャンネルです。

 

サッカー選手やミュージシャンが得る報酬は、その瞬間を体現するまでに彼らがあらゆるものを犠牲にして積み上げてきた努力に対するものだと思っています。

 

だから、本当にすばらしいプレイヤーがどれだけ高額の報酬を得ていても、世間で騒がれているほどは気になりません。

 

だって、彼らはチャネラーだもの。笑

 

それに、公園のグラウンドとか、目の前でデブライネがあのすごいFK蹴ったら「もう一回!それもう一回みせて!おねがい!」ってなるでしょ。

 

何回でも見たい。そういう瞬間。

こんなすばらしい体験、日常生活ではぜったいにできないから。